メディアリテラシーについて知るために有用な本。

「メディアリテラシーを養うことが大事」

「情報化社会の荒波の中で確固たるメディアリテラシーを身に付けよう」

インターネットの普及に伴い、メディアリテラシーについて上掲のような言説が各所で声高に叫ばれてより久しいですね。

誰でも一度は耳にしたことがあるであろうワード「メディアリテラシー」

では、それって一体何なの?って話なんですが、問われれば、恐らく多くの方が実は曖昧な認識しか持ち合わせていない、

といった事実が浮彫りになるのではないでしょうか。

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メディアリテラシーの定義

「まぁ、情報の有用性や真偽を見分ける能力だよね」

そんな声が聞こえてきそうです。

もし「メディアリテラシーとはこういうもの」と短絡的に定義するならば、それはやや早計かもしれません。

「解った気」「知ってる気」でいるとしたら、まずこの本を手に取ってみることをオススメしたいです。

まず、初っ端から問題発生。

メディアリテラシーの「正しい」定義や在り方について誰かが語ろうとするならば、取りも直さずそこに様々なジレンマが生じることになります。

どういうことか。この度紹介する書籍の148項には以下の様な見解が見られます。

メディアリテラシー教育によって「批判的な態度」を「教師が教える」ということの矛盾は、常に意識されるべきだと考えています。

そんなメッセージにも、その背景となる政治的立場や社会性があるのだ、と教えるのならば、そう言う教師自身のメッセージに含まれる政治的立場や社会性も問題にしなければならないはずです。

ですが、教師自身がそうしたメッセージ(「私の言うことを疑ってみよう」)を発すると、往々にして生徒は混乱してしまうでしょう。「『私を疑え』という私の言葉を信じろ」という指示は、心理学で言う「ダブル・バインド」であり、聞き手に強いストレスを与えるものになるからです。

このように語るのは、社会学専門の鈴木謙介さん。

この書籍はその他に、

・評論家の荻上チキさん

・経済学専門の飯田泰之さん

の気鋭の論者お二人を加えた共著となっています。

それぞれ専門的な視座から「メディアリテラシー」という概念と対峙し、掬すべき見解が記述された良書。

先程、メディアリテラシーについて考える上で念頭におくべき、この言葉の性質を踏まえた上で、クリティカルな視点から再考を図る内容となっています。

前提。メディアの中立性は有り得ない。

この本の特質が端的に示された、冒頭の荻上チキさんの記述を窺ってみましょう。

「ダメ情報の見分け方」というタイトルの本書を手に取った人の中には、その「抵抗力」を身に付けるため、メディアの大衆操作に関する事例集や実践のためのハウツーが書かれているんだろうなと期待してくださった方もいらっしゃるかもしれません。

本書もまた、現代社会に必要なメディア・リテラシーとは何か、その在り方について論じた一書です。ただし本書では、こうした主張自体には賛同しつつも、少し距離を取った仕方でメディア・リテラシーを論じています。(8項)

(中略)

メディアは必ずしも「中立」である必要はないのですが、「公正」な報道を行うことは常に求められます。(中略)

何を取り扱い、何を取り扱わないかという判断を各メディアが行う以上、メディアは常に選択的なコミットメントを行っているわけですから、「中立」であることは原理的に難しい。(26項)

情報を発信する側も多様な価値観、倫理観に基づいている、というのは至極当たり前の話です。

また「中立」といった概念も、主観というバイアスを完全に排除できない以上、「あなたにとっての中立」「私にとっての中立」という話に帰結せざるを得ないわけですから、

受信者は、中立を望んでいるようで実は「見たいものを見ている」

しかしそれは受信者が決して無知だというわけではなく、その方が「合理的な選択」だったからではないのか、

そんな切り口で、経済学を軸に現代の情報流通の特質に注視する態度を以てメディアリテラシーと向き合う飯田さん。

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まずは実用的な三項目

飯田さんの口からは「有用な情報」と「とんでもなくダメな情報」を簡単に切り分ける具体的方法論が提示されます。

・無内容な話を見抜く

・定義が曖昧な話を見抜く

・データで簡単に否定される話を捨てる

本記事では3番目の内容について具体例を紹介したいと思います。

凶悪犯罪が増加している、という言説

テレビやラジオのチャンネルを回せば、常に、といっても過言ではない程報道されている凶悪犯罪。

こう毎日毎日、非道な事件が取り沙汰されている光景をみるにつけ、

「凶悪犯罪は年々増加しているのではないか?」といったイメージを懐いている方も少なくないはず。

しかし、データを見れば一目瞭然、日本における凶悪犯罪は、殺人事件も幼女殺害も嬰児殺しも、総数、人口比で共に1960年代をピークとして減少傾向にある、と、飯田さんの指摘。

なぜこのような勘違いが生じるのか。

その理由のキーポイントは「需要と供給」のバランスで、これは「情報」という一種の商品にも適用されるから、という話。

つまり、あるジャンルの情報の供給が少なければ、そのニュースバリューは上がり、結果として、大々的に取り上げられることになるから、とのこと。

常にそこら辺に転がっているような情報は価値が低い一方で、稀少性を宿した情報の方が価値が高い。メディアも情報を売る商いを営んでいるわけですから、なるべくなら価値の高いものを選別し提供したい、との考えに至ることは明白です。

インセンティブ・コンパティビリティ。情報発信者の動機。

この人、このメディアは、どういった動機でこの情報を発信しているのだろう?

この情報を発信して何を得たいのか?

人々の共感、信用を勝ち取って、んで何がしたいの?何が欲しいの?

つまり損得の問題で、ここが不詳である情報は訝ったほうが良いよ、って話。

目的は商業的な価値に基づいていたり、あるいは思想的な価値に基づいていたり、

あるいは単なる自己満足の域を出ないもの、様々ですね。

更に続けて、

確率論に基づいてメルマガを使った商法のカラクリや、

疫学データの事実性の検証方法など、

ありがちなケースから、それを見破る際のポイントが叙述されています。

ダメ情報すら「活かす」

最後に鈴木さん。

メディアリテラシーの実践は、しばしばインターネットの情報に対して向けられがちな「情報の真偽を判断する」ことにとどまらない「ダメ情報を使いこなす」ことに役立つ態度を養います。特定の立場から発信される、偏っていたり、ウソを含んでいるかもしれない情報を、ただ無視するすべきものとして切り捨てるのではなく、それらが発信された背景や意図があることを意識し、それらを学ぶことで、「ダメ情報」だったものが、十分に「使える」情報になるのです。

結局、何でも単純化して片付けるのではなく、常に「知る」「学ぶ」「考える」という、情報と向き合う態度が大事なんじゃないか、と思いました。

情報の取得にとどまらず、「発信」が簡便となった現代にあって、その行為を行う者自らが、他の情報の質のブラッシュアップをも担う一員であることの自覚。

ネットという共有の財産から恩恵ばかりを享受しようという姿勢から、発信者の側に立って考えることによって見えてくる世界、

そういった視点から情報の有用性について再考を繰り返す。

「偏り」を排除出来得ない性質のものであるからこそ、その偏りを前提に据えた情報の扱い方について、大変勉強になった一冊でした。

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