原理主義と殺戮の正当化。顕正会は日蓮仏法原理主義か?

『君たちが不信心者と戦うときは首を切れ。多くを殺すまで戦い、捕虜には縄をかけよ。それから戦いが終るまで情けをかけて解放するか、身代金を取れ。もしアッラーがお望みなら、きっと報復されるだろう。だがアッラーは、君たちを試みるために戦いを命じられる。アッラーの道のために戦死した者の行いは必ず報われる。アッラーは、彼らを導いて現状を改善され、すでに告げられていたように楽園へと導き入れる。』(ムハンマド章3-5節)

ISIS(イスラム国)の行動原理はあくまで「コーランの厳格な解釈に基く」と主張します。

上文はイスラムの聖典コーランの一節ですが、コーランの中にこのような殺戮を正当化するような文言があったとは驚きです。

しかし、実は釈迦の説いた経典の中でも、

また、日蓮の遺文の中においても、近い意味の文言が示された箇所があるんですよね。

涅槃経『聖行品』には、

『婆羅門の方等を誹謗するを聞き、聞き已はって即時に其の命根を絶つ。』

とあり、続けて、

『善男子、是の因縁を以て是より已来地獄に堕せず』

と、示されています。

不信心者の命を絶ったことについて、なんと「これは正しい法を護るための行為であるから善行である」といった旨の文言が残されているんですね。

日蓮はというと、『撰時抄』の中で、

『建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて彼等が頸をゆひのはまにて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ』

と、仰せられています。

これら上文のように、経文や御金言にも、およそ現代における倫理・道徳観念の見地から考えれば、まさに非人道的な内容が記されているんですね。

顕正会は「御在世の信行に立ち還った」なんていいますが、

では、顕正会は「他宗の寺院を焼き払え。他宗の僧侶の首を切れ」と言うのでしょうか。

殺戮には及ばないにしても、「御在世の信行に立ち還った」からといって、その強引で過激な布教までもが大聖人から許された行為だと思ったら大間違いです。

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時代の世相に準じた教義解釈

実践的な法の在り方は、主体が社会生活を営む人間である以上、結局パラダイムシフトにはあらがえません。

時代の移り変わりと供に常識は変化していくものだし、教義解釈というのもその時その社会における一般的な感覚に合わせていくことが必然的に求められるはずです。

そのために、御本尊七箇相承では、

『代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり。』

と示されているわけだし、

その大聖人の意志を受け継いだ開山日興上人が、

『日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり』

と、末法万年に亘る宗内の全僧俗に向って御指南されているわけです。

これは後の世相の変化に柔軟に対応していくための必要性を鑑みて教示された信条なのです。代々の御法主に判断とその権限を与え、委ねているのです。

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カリフという概念

イスラム教においては、そのことに相当する「カリフ」という正統な血脈を証明する制度がすでに消滅してしまっています。

そのことはとりもなおさず、『正統なイスラム教』の終焉を示唆しているのだと僕は思います。

ISIS(イスラム国)がいくら「カリフ」を主張しようとも、ムハンマドとの繋がりが断絶している以上、「正統なイスラム」だという主張に歴史的事実に基づいた道理など一切ないわけで、これは顕正会の「御在世の信行に立ち還った」という自己主張と同様の「欺瞞、虚構」なのです。

世間に迎合するイスラム教徒を彼らISIS(イスラム国)は不信者とみなし、ジハードの対象にしていますが、恐らく多くのイスラム教徒たちは、カリフ制度が頓挫し、その概念自体が曖昧で、実体がない事実を容認し、

そのことを踏まえた上で体系化された「イスラム教」の信仰をしているのではないでしょうか。

正統派の仮託

顕正会はしばしば“浅井教”と揶揄されます。

メディアが顕正会のことを取り上げる際にも、彼らが自称する“冨士大石寺顕正会”という名称は使わずに“宗教法人顕正会”という呼称するのは勿論なわけで、

顕正会員以外の誰人も、顕正会のことを「富士の源流に立ち返った団体」などと認めてはいないのです。

「私達は日蓮大聖人の本家です」みたいな面をして、「冨士大石寺です」だなんて日蓮正宗にとっては迷惑この上ないことですが、

これがもし仮に“日蓮仏法原理主義の過激派 顕正会”なんて報道されたならば、日蓮正宗だけでなく、日蓮宗各派も迷惑を被ることでしょう。

メディアが「原理主義」とか「イスラム国」といった呼称を報道に用いることで、

宗教に疎い人は、ISIS(イスラム国)はコーランの厳格な解釈に基づくという主張に対しても、「あぁ結局イスラム教ってそうなのか…」

彼らは彼らなりに「コーランに忠実な実践をしているのか」と、

とんでもないズレた認識が生まれ、

更には、「宗教」そのものに対する悪いイメージが世間に植え付けてしまっているのは事実だと思います。

“原理主義”というのは本当は“蔑称”なのです。

しかし“原理主義”という表現が蔑称であることは、僕が今回色々と調べてみて初めて気が付いたことで、宗教にほとんど関心のない世間一般の人たちには少々誤解しやすい表現なのだろうと思います。

彼らは「テロリスト」です。

世間を脅かす団体、殺戮や暴挙を犯す信仰者など「宗教」の看板を掲げた「テロリスト」なのです。

顕正会は日蓮「原理主義」か。「ファンダメンタリズム」とは?
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