顕正会は日蓮「原理主義」か。「ファンダメンタリズム」とは?

こちらは井上順考さんという方が著された宗教学の本です。

ここに「ファンダメンタリズム」についての説明文の中に、

「顕正会」の存在が記されていたので、今回はそのことについて取り上げてみたいと思います。

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「ファンダメンタリズム」とは?

「ファンダメンタリズム」とは一般的に「原理主義」と訳されます。

この言葉は元々キリスト教において、「聖書」は神の言葉として間違いがないと考える、特定の立場の人たちのことを指して呼ばれたそうです。

特徴としては、以下の三項目が挙げられます。

「原点主義」

「原典主義」

「減点主義」

それぞれの詳細について著書から引用します。

「原点主義」は、その宗教の初期の状況を理想とし、そこに戻れという主張をもつことです。

ただし、そこで描かれる原点は、正確に歴史をたどって得られたものというより、描き出されたものという性格が強いです。

「原典主義」は、その宗教の創始者が語ったことや、テキストを重視しようということです。

これも、その解釈はしばしば独自のものとなります。

「減点主義」は、現状における否定的局面を強調し、それとの戦いを前面に掲げるようなやり方です。

これが暴力を伴うことにつながります。

「ファンダメンタリズム」と呼ばれる傾向は、多くの宗教で生じますし、「分派・分裂」の際には、ファンダメンタリズムの要素の強い派がしばしば誕生します。

とのことです。

ちなみに「顕正会」がどのようなカタチで紹介されているかというと、

創価学会が「国立戒壇」を引っ込めたことを批判しつつ、この主張を今日も貫く「日蓮正宗顕正会」などは、ファンダメンタリズムの要素が強いといえます。

この本の初版2011年4月1日なので、正しくは「宗教法人顕正会」。名称に誤りがあるとはいえ、

数ある宗教の中で「ファンダメンタリズム」の好例として取り上げられるとは。

いやはや、顕正会も名を馳せたものですね。

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ファンダメンタリズムの特徴と、顕正会の主義主張。

では三つの特徴について、更に細かく見ていきたいと思います。

原点主義。

冨士大石寺の清き源流に立つ。

その後、顕正会は解散処分の弾圧に屈することなく、かえってこの弾圧を機に、いよいよ冨士大石寺の清らかな源流たる日興上人・日目上人の御精神に立ち還った。

上記は顕正会の公式HPからの引用。

これは、「国立戒壇」、即ち顕正会の教義と国政の融合という新しい国家体制の実現と、その名称の掲揚をもって錦の御旗とする、

「原点主義」の標榜です。

ま、とはいえこの主張の大元は、戦後に広まった田中智学の「日蓮主義」の精神。

これを踏襲したものですから、

本当に700年前の純粋な日蓮の主張に符合するものかといえば、当然そこには齟齬が生じます。

原典主義。

彼らは宗祖の遺文である「三大秘法抄」の「仏法王法に妙じ王法仏法に合して…」の部分を依拠として「国立戒壇」の実現を主張しています。

ところが現在、日本は民主主義国家。田中智学さんが「国立戒壇」を主張していた、戦前、天皇が実質的な立法権を握る専制政治とは仕組みがまるで異なるわけですから、

「国立」の名称が時代背景にそぐわないとして、名称の使用を取りやめた日蓮正宗側の決断の方が、僕個人としては妥当な選択肢であったと思います。

しかしそもそも、「三大秘法抄」自体が、真偽の決着がついていない。

色々調べてみたんですが、諸説粉粉として真相が定かではないので、結局闇。

減点主義。

昭和40年代、顕正会の母体である日蓮正宗内では度々「国立戒壇」をめぐって紛糾していましたが、

昭和47年6月30日、つまり解散処分となる直前、現顕正会会長である浅井昭衛氏は法主上人に対し以下のような書状を送付します。

「男子精鋭二千の憤りは抑えがたく、仏法守護の刀杖を帯びるに至りました。もし妙信講一死を賭して立つの時、流血の惨を見ること必至であります。」

続けて、創価学会本部襲撃という暴挙に至り、

以後完全に独立路線を突き進んでいく、というのが一連の経緯。

学会本部襲撃3学会本部襲撃5学会本部襲撃7

(※昭和49年に勃発した顕正会の前身、妙信講による創価学会本部襲撃事件)

ファンダメンタリズムは必然。

顕正会の起こした一連の流れというのは、井上さんが指摘するように、多くの宗教に「ありがち」な「ファンダメンタリズム」なのです。

井上さん曰く、

「分派・分裂」が生じるのと同様に、ファンダメンタリズムは、宗教の展開において必然的に生じるものといえそうです。

とのこと。

どこが一番正しいとか、あそこは御聖意に反しているとか、

そういう問題以前に、

これは宗教のもつ性質上、必ず起こり得ることなのです。

大石寺系教団の方々も、このことを理解すれば、やたらと事を構えることなく、もう少し鷹揚な態度で互いに接することができるのではないかと。

「教学」とは、「信念を補強するため」に用意されたものですから、

いくら研鑽しても、「あぁ、うちの宗派は素晴らしいんだなぁ~」という結論に達するだけで、

排他的な思考パターンを助長する知識が養われていくだけです。

幅広い視野をもつために、「宗教学」を学んでみてはいかがでしょうか?

殊に、顕正会で活動する現役会員たちには強くおすすめしたい次第です。

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