クリスマスの本当の「意味」。由来と起源についてまとめてみた。

クリスマス

もうじき街を彩るクリスマスイルミネーションが、行き交う人々を魅了する季節が到来しますね。

クリスマスの過ごし方、あるいは大切な方へのプレゼントなどはもうお決まりでしょうか?

今回は、クリスマスについてのちょっとした豆知識をお届けしたいと思います。

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元々のクリスマスの意味とは?実はキリストの誕生日ではなかった!

先日、僕の好きな宗教学者、島田さんの本を読んでいたら、その中に、以下のようなくだりがあり大変驚きました。

該当箇所を引用します。

西洋でも、キリスト教以前の土着の信仰は存在していた。しかし、そうした信仰は、キリスト教が広まることで、劣った迷信とみなされたり、キリスト教の習俗のなかに取り込まれていった。

クリスマスはその代表である。

もともと西洋の土着信仰のなかに存在していた冬至の祭りの日が、イエス・キリストが生まれたクリスマスとして考えられるようになっていったのだ。

イエスの行状を記した「新約聖書」の福音書には、どこにもイエスが生まれた日は記されていない。

冬至を境に、春が来て、新しい年になるという土着の慣習が、イエスの誕生によって、

古い世界に終わりがもたらされ、新しい世界が訪れたとする信仰と重ね合わされ、

クリスマスという日が成立したのである。

このように、長い年月をかけて、西洋の土着の慣習や行事はキリスト教に取り入れられ、同化していった。

(※参照 無宗教こそ日本人の宗教である)

え!?

クリスマスはイエス・キリストの誕生日ではない…。

僕の固定観念を大きく揺さぶった瞬間でした。

って、単に僕が無知なだけだったりして。

とにかく真相を確かめようと、ネットで調べてみました。

そしたら既に多くの情報が上がってましたね(笑)

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クリスマスの由来、起源とは?

ネット上の情報は雑多であり、若干の精査が必要でしたが、

ある程度事実が見えてきたので、備忘録的にまとめてみました。

では以下。

1、ミトラス教の冬至のお祭り

まず、古代ローマではペルシャ由来の「ミトラ教」というものが流行していたそうで、

この主神であった「ミトラス」は「太陽神」の性質をもつものでした。

ミトラ

(ミトラス↑)

このミトラスについてですが、色々掘り下げていくと、インド神話やゾロアスター教、マニ教といったものまで絡んでいて、大変面白いのですが、その辺に関しては今回では割愛します。

そしてこの「ミトラ教」の大事な習慣として催されていたのが「冬至」のお祭りで、

これが12月25日だったのです。

このお祭りは「ナタリス・インウィクティ」と呼ばれ、

冬至を境にして徐々に日が長くなっていくことから、

信者たちは「太陽神ミトラが再び生まれる日」として祝し、祭典を行ったというわけです。

で、なぜこの日がキリストの誕生日としてすり替えられたのか?

このことついては、もう少し先で見ていきましょう。

2、農耕祭

次に、「ミトラ教」が新興宗教的な位置付けであったのに対し、

古代ローマにはサートゥルナーリア祭」と呼ばれる土着の慣習も存在していました。

祝される「サートゥルヌス神」は、ローマ神話に登場する「農耕神」(英語ではサターン)のことです。

サートゥルヌス

(サートゥルヌス神↑)

元々このお祭りは12月17日の1日だけだったそうですが、

非常に好評だったため、延長して12月23日まで行われるようになったとか。

つまり日本でいう新嘗祭(秋祭り=秋の収穫祭)に近い形態だったことが窺えます。

キリスト教による併呑。

イエスの死後、ローマ帝国がキリスト教を導入し、国教と定めると、

上記のような土着の慣習や、

あるいは「ミトラス教」は、当時現地ではかなりの勢力に及んでいましたが、

結果的にキリスト教に「取り込まれて」いくことになります。

しかし、当時の民衆に深く根付いていた慣習を、強引に排斥することは深い軋轢を生むと同時に、到底不可能な話だったのです。

ということで、キリスト教側が苦心した結果、

最終的に「これらをキリスト教の一部として併呑することに成功」します。

併呑のロジック。

イエス・キリスト=光=太陽神ミトラ

イエス・キリスト=永遠の生命=植物の再生=農作物の収穫祭

と、こんな感じで、

少々強引な印象を受けますが(笑)、

とにかくこうして、なるべく角が立たないようなカタチで、

12月25日を「太陽神ミトラ」の誕生祭から、キリストの誕生祭へと、うま~くすり替えることに成功したわけです。

これが「クリスマス」発生の由来、そして起源と考えられているようですね。

「クリスマス」の発生と「日本宗教」の類似性。

ここからは余談ですが、

この一連の流れについては、日本でも限りなく近い経緯を見ることができます。

それは日本において、飛鳥時代の仏教伝来に伴い、

土着の古神道(自然崇拝、精霊崇拝)との衝突の結果、

「神仏習合」という概念をもって、双方の共存が図られたことです。

日本は外来の仏教を取り入れていく過程において、土着の思想と密接に結びついていくことになるのです。

しかし、そうして日本の文化として定着した「神仏習合」ですが、

日本が明治維新を迎えると、日本は海外の一神教に倣うカタチで「神道」と「仏教」を強引に分けようという運動がもたらされました。

「神道」を「道徳化」することで「仏教」の排斥を企てた、

「廃仏毀釈」です。

しかしこれもうまくいかなかったのです。

ですから結局政府はこの政策を妥協することとなり、結果的にやはり「神道」と「仏教」は共存を許されるような法整備が成されることになります。

完全に排斥するのではなく、「上手く取り込んでいく」という経緯は、

キリスト教による「クリスマス」の発生起源と濃い類似性を見出すことができます。

神仏習合の「類型」。

具体的にこの「神仏習合」の類型を見ることができるものとして、

「比叡山」を挙げてみます。

比叡山の由来とは?

比叡山に総本山を構える天台宗寺院、「延暦寺」は、「最澄」の名と共にあまりにも有名ですが、

比叡山の名称の由来ってご存知でしょうか?

比叡山とは元々「ひえの山」と呼ばれ、「日枝」と書きます。

古来、日枝の山には「大山咋神」(おおやまくいのかみ)という神が住んでいるという土着の信仰があったのです。

最澄が比叡山を開いたとき、寺の周囲に結界を定め、その地主神を比叡山の「諸山王」として比叡社に祀ったとされており、

これらは天台宗・延暦寺の守護神と位置付けられていました。

「日枝」は「日吉」とも表記され、

この「大山咋神」と「大物主神」を祭る信仰は「山王信仰」と呼ばれ、

全国の「日吉神社」及び「日枝神社」として、その存在を今に残しています。

日吉大社

(延暦寺傍の日吉大社↑)

「山の神」と「仏教の習合」

日本では、土着の信仰として「山岳信仰」というものがあります。

「山岳信仰」には様々な形態があるようですが、

例えば、冬の間には「山」にいる山の神が春には里に下ってきて、稲作を守護する田の神になり、

秋になって収穫が終わると、その田の神はまた山へ戻って山の神になるといった言い伝えなどがあります。

日本民俗学の開拓者である「柳田國男」はこの神は「先祖の霊」であると指摘しました。

この祖霊が冬は山の神として子孫たちの住む村里をのぞむ山の上にいて、その生活を見守っているが、

春が来ると田の神になり、子孫が耕す田での農作業を守護する。村の鎮守に祀られた氏神も、結局はこうした祖霊であると捉えたのです。 (※参照 無宗教こそ日本人の宗教である)

また、周辺地域の農耕に必要な「水」をもたらす山がそのまま信仰に対象になるといったものもあることから

「農耕」と「山の神の信仰」は古来から不可分の関係にあると言えます。

ここで、先程の比叡山の話と併せると、

そういった土着の「山の神」信仰が「仏教」によって併呑されていった。

という経緯を知ることができます。

他にも、天照大神が「大日如来」。

応神天皇が「阿弥陀如来」といったように、

元々の日本の神が、仏教と習合することで、その形態を変えたという事実は、

数多く存在しているのです。

まとめ

途中から少々話が脇道に逸れましたが、

元来、古代ローマにて土着の慣習として行われていた「農耕祭」。

または元来信仰されていた「神」が、

「外来の宗教」によって併呑されていく過程の中で、

キリストの誕生祭としての「クリスマス」が発生しました。

そして、このことは、

日本が醸成してきた「神仏習合」という文化形態と比較することで、

極めて高い類似性を見出すことができます。

こうして当たり前のように慣れ親しんでいる「習俗」というものを、過去へと遡り、掘り下げてみることによって、

実に面白い発見があるものですね。

以上、イエス・キリストの誕生日と、クリスマスの関係。

その由来、起源についてのお話でした。

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