「分散型メディア」も大事だけど、まずは「メインサイトの分室化」でしょ。

もはや今更なんですが、「顕正会」の悪名は、だいぶ世間に浸透してきましたよね。

「過日の逮捕事件」が追い打ちをかけたかのように、恐らく、彼らは、以前にも増して難渋を強いられているはずです。

かといって潰れることもない。

しばらく低空飛行が続くんでしょうね。

前ブログタイトル「顕正会.info」

教団の名称が、世間にネガティブなイメージとして定着してきたが故に、

この「顕正会」という文字列をタイトル含めることに、以前よりも何か、「抵抗感」のようなものが増してきたんです。

第一印象で、現役顕正会員のサイトかと誤解を与えてしまいそうですし‥。

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金魚の糞のように付き纏う「顕正会」

このブログで扱うテーマについて、顕正会と直接関係の無い話題に触れる機会が、最近、特に増えつつあるわけですが、

やはり、そういったコンテンツは「顕正会」という概念から切り離して提供したいのが本音です。

しかし、僕がいくら他の話題の記事を書いても、タイトル名から「顕正会」というキーワードを排斥しない限り、どうやらその宿命からは逃れられそうにないことが分かってきましたw

画像暗くてすみません。

タブレットのGoogle検索画面からのキャプチャ。

端末によって違うみたいなんですが、

「寺院消滅レビュー」と検索窓に打ち込んで、二番目に表示されているのが、過去に書いた、

「寺院消滅」レビュー。僕が思う、寺が必要なくなる単純な理由。

という記事です。

見てお分かりのように、記事タイトルの末文に、「サイト名」が挿入されるみたいなんです。

プラグインを駆使して、色々試行錯誤してみたんですが、こればかりはどうにもなりませんねー。

せっかく顕正会の特化ブログを構築したのに、これは本末転倒ですが、

たぶん、タイトルを変更しても、ある程度サイトの専門性は保たれていくと思うんですよね。

たぶん…。って、これはもうGoogle先生のさじ加減によるので、結果がどうなるかは正直良く分かりません。

顕正会について一切触れていないにも関わらず、検索結果に「顕正会」というワードが入り込むという忌まわしい現象、

そして、トップページのヘッダー内に表示される、デカデカと表示される「顕正会」という文字列。

これを一刻も早く取り除きたかったw

何故かって、

「寺院消滅について知りたくて調べたのに、顕正会って‥。このサイトに用無いわ。」

と、普通思うじゃないですかw

心の中で「ボソっと」、「カルトの意見など聞いてねぇよ。」と。

嗚呼、何という機会損失たるや。

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「分散化」も大事だけど、その前に「分室化」したい。

最近、メディア、特にブログ界隈では、「分散型」という概念が注目を集めています。

アイコン

これはプラットフォームの多様化が進む中で、供給元がそれぞれに対してどう適応させていくか、といったような語り口で、

要は、業界の成熟に伴い、ブロガーも「編集能力」が問われる段階を迎えてきているということでしょう。

サイト運営者の方であれば、絶対押さえておくべき、トレンドです。

と、ここで急に話題は一変しますが、

海外のインテリアって、何か「センス」良いじゃないですか。北欧とか。

北欧インテリア

それは「部屋の用途」を明確に分けているからで、

全体的にごちゃごちゃしている、生活感満載の「日本人」の部屋の使い方っていうのは、

そういうセンスの良い海外の方からすると、有り得なく映るようです。

勿論、綺麗に見せている範囲がある一方では、様々なモノを押し込んでおく部屋があるそうですが、

そういった部屋を一つ設置し、客人に見られない場所へと「隠す」。

そういう「用途分け」を上手に行うことによって、家全体の美的な印象を高く保っているわけですね。

「サイトいじり」の面白さ。

上に挙げたのは「分室化」の好例です。(分室化とは僕の造語です)

で、何故こんなことを唐突に述べたのかというと、

「サイト」にも、同じように「アクセント」や「導線」がありますから、これは「家のインテリア」の構造と、なかなか似ているなと、思ったわけです。

全体のコンセプトを違和感なく一致させ、美しく、機能的な造り。

ウチで言えば、「顕正会の調査」を主眼に来訪された方には、「顕正会」を深く知るための「導線」を意識し、必要な機能を設置して、誘導する。

他の目的で来訪された方へは、その目的になるべく適応させるように、余計な視的要素を省く。

まだまだ改善の余地があり、作業途中ではありますが、

「サイトいじり」の面白さは、近年流行りの「DIY」に通底するものがありますよね。

とにかく、今回僕が強調したいのは、

「顕正会をメインテーマ掲げながら、全く関係のないコンテンツばかり提供しているという、わけのわからない、気持ち悪いジレンマから解放されたい」

ということです。

それに尽きます、はい。

長くなりましたが、これにて。

以上、だらだらと期間を空けながら、ブログタイトルを変更した理由について語ってきました。

突然ですが、ブログ名を変更します。1年弱ブログを書いて分かった4つのこと。
「顕正会.info」に替わり、本日、現在をもって、当ブログの名称を、 「偶像の輪郭」(ぐうぞうのりんかく) に変更いたします。 ...

いやぁ、それにしても、同じ、顕正会の話題をメイン扱うブロガーである瑠璃堂さんのブログが、

どのようにリニューアルされるのか楽しみだなぁ~。

勿論、内容がどう変容しようとも、僕は「ライター」としての彼女のファンなので、

変わらず、応援させて頂く所存です(^^)

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『「分散型メディア」も大事だけど、まずは「メインサイトの分室化」でしょ。』へのコメント

  1. 名前:トチロ~ 投稿日:2016/04/04(月) 10:36:02 ID:1c64e63e5 返信

    近々にブログを一つ開設しようと考えているのですが、また相談にのってください。Google+とかのSNSとの連携や、そこからのホームページへの誘導も考えています。

    やはりミミさんがお薦めのワードプレスが良いのでしょうね…。

    ちなみにプライベートのブログです。

    顕正会の方のブログはめんどくさいので現状維持です。

    また寄らせて頂きます。

    • 名前:ミミ 投稿日:2016/04/04(月) 23:39:01 ID:48da3dd17

      トチロ~さんへ
      こんばんは(^^)お世話になってます。
      おぉ!また新規で開設されるんですね(^^)
      wordpressはおすすめですね。
      ただ、キチンとセオリーを踏まえないと充分にポテンシャルが発揮されない、じゃじゃ馬のような性質も持ち合わせているのも確かです。
      いちいち瑣末な部分まで、細やかに手掛けなければならない煩わしさがあるので、もし利用されるのであれば、根気と情熱を持って取り組む覚悟が求められるかもしれません。
      僕なんかの拙い知識で宜しければ、惜しみなく提供しますよ(^^)
      提案ですが、出来れば他のブログ運営者の方とも情報を共有できるように、ウチの掲示板で談義を交わしませんか?
      途中、かえって、僕の方が教えてもらいたいことも出てくるかもしれませんので、その際には何卒ご教示下さいm(__)m

  2. 名前:トチロ~ 投稿日:2016/04/05(火) 06:29:09 ID:b46bd203c 返信

    掲示板での情報交換、いいですね。

    昨日本屋に行ったらwordpressの本がたくさん並んでいてビックリしました。どこから手を付ければ良いのか今一つ分からないので皆さんに色々教えて頂けると助かります。

    ちなみに掲示板にトピックをたてようかと思ったのですが、私のセンスのない命名だと申し訳ないのでミミさんが作って頂けないでしょうか。

    今後ともよろしくお願い致します。

  3. 名前:ミミ 投稿日:2016/04/05(火) 12:42:56 ID:f5d731762 返信

    トチロ〜さんへ
    了解です!では本日帰宅後に早速トピ作成したいと思います。では後ほど(^^)

  4. 名前:(勝手に)地涌の流類 投稿日:2016/04/07(木) 05:09:51 ID:b6b728ba2 返信

    愚人に誉められるは第一の・・・という御金言もありますが、ここまで聞こえが悪いとねぇ、名乗るのも躊躇してしまいます。私のHN変更は別に世間に媚びてのものではなく、顕正会に迷惑をかけない為に、なのですが・・・。

    もっと開かれた顕正会へ!!

    • 名前:ミミ 投稿日:2016/04/09(土) 09:05:13 ID:6d0c3838d

      勝さんへ
      「愚人に誉められたるは‥」の注釈について思うのですが、
      愚人にすら誉められない境涯で、賢人に相手にしてもらおうなどというのは烏滸がましい要求ではないかと思うんですよね。
      「真の賛辞か、おべんちゃらか的確に見抜け!」という意味なら頷けますが、もし相手が率直に誉めてくれているのに、木で鼻を括った様な態度というのはちょっとね‥。
      一般に、愚人とは「謗法の人」と訳されるのでしょうけど、対話の中に相手が改心したならば、それはその時点で「聴法の人」なわけで‥ 
      愚人の定義を明確にしないと誤解が生まれ易いのかな?って思います。
      しかし、(勝手に)と添えてはいますが「顕正会代表」と名乗る人間がネットで言論活動しているにも関わらず、クレームなり、何かしらの直接的なコンタクトを取ろうともしない、顕正会の執行部って一体‥。普段何をしてるんでしょうね。

    • 名前:(勝手に)地涌の流類 投稿日:2016/04/10(日) 21:27:15 ID:0cd83d2c1

      >愚人にすら誉められない境涯で、賢人に相手にしてもらおうなどというのは烏滸がましい要求ではないかと思うんですよね。

      その考えは危険ではないでしょうかね?あの御金言の趣旨は、他人からの評価を気にし過ぎるな、という事かと存じます。
      例えば分かりやすく言えば、貴殿がオウムの信者だったとして、「でも、何だかおかしいな?」と思い始めて脱会を決意したとしますよね?その時、兄弟子だったり同士だったりが、散々に自分を罵倒して来るかも知れません。「修行を途中で投げ出すなんて、堕地獄だ」とか「また無明を彷徨う事になる」とか「愚か者!」だとか何だとか。そういう時、八方美人の精神では、その人々から「嫌われたくない」「低評価は嫌だ」とかで、ついついオウムに留まってしまうかも知れません。然るに、自分が悪い決断をした時は無論ですが、良い決断をした時も、謗る人は謗る訳です。故に、一々に衆生一般の評価を気にしていては、「正しい決断」なんて全うできる訳もありません。別にオウム脱会に限らずあらゆる場面で、自身の正しい決断を謗ってくる人々はいます。

      大聖人の頃は、大聖人の仏法に対して、名のある僧侶、浄土宗を信奉する俗衆、果ては政府高官に至るまで謗ってきたのです。あるいは親身になって窘めてくる人も居たでしょう。大聖人の弟子や師匠も大聖人を窘めました。それ程、真言は権威であり、それに対する執着が大きかったのでしょうし、大聖人の言動が強言過ぎるように思われたのでしょう。亦、大聖人は天台で修行をしたとは言え、身分は卑しかった。
      そういう時、「愚人にすら誉められない境涯で」などとくよくよして、愚人の評価を気にしていては、一向に弘通や正法宣揚などできなかったでしょう。
      「愚人」という言い方には確かに、相手を馬鹿にしたような響きがあり、私も好きではありませんが、「そういうくらいの気持ちでいけ」という事かと思います。相手は上司だったり教授や教師だったり大臣だったりするかも知れませんが、そうなると大抵の人は萎縮してしまいます。そういう時、自分の決断や見解をやすやすと殺してしまわない為に、「相手は権威はあるが、正しいとは限らないのだ。理屈に合わない事を言っているのであれば、愚人であり、畜生である」くらいの意気を持つべき、という御金言かと拝せられます。

    • 名前:ミミ 投稿日:2016/04/12(火) 20:40:37 ID:810ed73e7

      勝さん
      う~ん。恐縮ですが、その会釈は、僕にとっては正直悩ましいですね。
      やはり「愚人」の定義が今ひとつ不明瞭なんですよね。
      また、「正しい決断」の定義も非常に曖昧です。
      仮にこれを「主体的な決断」と換言したとしても、「中らずと雖も遠からず」程度ではないかなぁと。
      このセンテンスをストレートに捉えれば、「愚人ってどういう人」っていう疑問符が浮かび上がってくるのは自然な気がします。

    • 名前:(勝手に)地涌の流類 投稿日:2016/04/13(水) 20:34:42 ID:014a4c8b3

      >愚人にすら誉められない境涯で、賢人に相手にしてもらおうなどというのは烏滸がましい要求ではないかと思うんですよね。

      と言ってしまうと、要は「愚人(換言すれば、凡百の万人)に誉めてもらわなくちゃ駄目だ!」という事になり、誰彼構わず媚び、八方美人になってしまう事になると思うんですよね。
      (尤も、一口に「愚人」と言っても、意見は人それぞれなので、凡百の万人全員の意見に従う事は不可能で、故に誰からも誉められる状態、というのは実現困難かとは思いますが)

      例えば、エジソンが独自の生活や研究をしているのを観て、少年時代には教師が、青年時代には職場仲間や上司が、そして壮年でも様々な人が、「もっと○○を勉強しなさい」「そんな訳の分からない事を日々考えて時間のムダだよ」「部屋を爆発させたりして、危険だから訳の分からない研究はやめなさい」「○○の開発は無理だと思うけど」「社長、○○は成功しませんよ、それより売れ筋の●●の製造だけに集中すべきでは」といった忠告、非難、疑問、忠言などをぶつけてきたと思われますが、ここで一々エジソンがアドヴァイスして来る人の意見に従っていたら、エジソンの活躍はなかったでしょう(但し、変人だという評判も残らなかったでしょうが)。

      誰を以て愚人とするのか、というのは難しい問題ですが、とにかく、「誰からも誉められなきゃ駄目」というものでもないだろうと当方は思います。

    • 名前:(勝手に)地涌の流類 投稿日:2016/04/13(水) 20:54:46 ID:014a4c8b3

      >やはり「愚人」の定義が今ひとつ不明瞭なんですよね。
      >また、「正しい決断」の定義も非常に曖昧です。

      まあ、そうでしょうね。仏法を離れて考えますと、誰を以て「愚人」とし、何を以て「正しい決断」とするのかは不確定的である事が多い。
      先のエジソンの例だと、仮にエジソンが全く成功しなくて、おまけに度重なる実験のせいで、婚期も逃し、結構な額の借金を抱え、障害を負ってしまったとすると、「愚人」はむしろエジソン自身の方で、「正しい決断」を迫っていたのは周囲のアドヴァイスした人々であった、という事になるかも知れません。
      禍福は縄のあざなえるが如し(塞翁が馬)という格言もあるように、自分の決断、言動の何が幸福の原因となり、何が不幸の原因となるか判らない事が多い。大学選びにせよ職選びにせよ・・・。

      だから、世間一般の事で考えるならば、この御金言はあまり役には立たないでしょうね。「賢人愚人」「判断の正誤」の別が誰にも判らない以上、この御金言の土台となる基礎情報が不足しています。「正しい判断をせよ」という格言が若しあっても、殆ど意味を成さないのと同様に。
      だからまあ、私はこの御金言を世事に応用する場合は、「周囲からのアドヴァイスも真摯に聞く一方で、最終的には主体的に判断するべきだ」というくらいに捉えています。是ならば判断を間違えても、後で人のせいにして恨むなどといった事にもならないでしょうからね。

      但し、「仏法上の事」として係る御金言を考えれば、答えは一つです。何故ならば、愚人やら正しい決断やらの定義が既に定まっているからです。即ち、「自身が正法を護持している時に、謗法の万人が口々にそれを責めても、誉めてもらいたいあまり迎合したりはするな」という事になります。「愚人」=「謗法の人」「正しい決断」=「正法護持」

      勿論、何を以て「謗法」、「正法」とするのか、という問題が次に浮上しますが、それは亦のちの事。次の段階の話です。係る御金言の曖昧さは払底したかと思われます。
      謗法、正法は裏表で、正法が定まれば謗法も自ずと定まります。正法を謗る事は勿論、正法から人を遠ざけようとする事も謗法ですが、故に「正法」が何であるか判れば謗法も具体的に判明するのです。

      ここでは論じませんが、「正法」が何であるかという事に就いては、理証、文証、現証でゆっくり顕かにして行ければよいですね。
      (こう書くと、ミミ殿からは、いやそれも難しいと思うけど、というツッコミを戴きそうですが)

    • 名前:(勝手に)地涌の流類 投稿日:2016/04/10(日) 22:21:39 ID:0cd83d2c1

      (続きです)
      >もし相手が率直に誉めてくれているのに、木で鼻を括った様な態度というのはちょっとね‥。

      いや、是は「誉めてくれたのに、それを蔑ろにせよ」という事ではなく、「誉められようと躍起になる余り、相手に迎合するな」という事かと私は思います。
      私は、創価の人であろうと、法華講の人であろうと、その他の人であろうと、誉めてくれれば素直に嬉しいですし、謝意も表します。
      しかし、そうではなくて、一般人から「仏法は間違いで、大聖人も只の間違った僧侶だ」とか宗門から「顕正会の戒壇義は間違いで、法主に逆らうのは大謗法」などと言われたとして、心の中に「一般人から奇異な目で見られたくない」とか「僧侶から大謗法者という目でみられなくたい」といった、見てくれを気にした媚びの心のみで、自らの信心を売り渡してしまうような思いが生じた時は、「愚人に誉められても仕方あるまい」と考えるようにして、正邪は専ら法義に依るべし、と思い直すようにする訳です。
      「君は国立戒壇を捨てれば、とてもよい人間なのにね」と仮に宗門の誰かが甘言してくれても、その言葉には乗らないようにしよう・・・と。ここで法を捨ててしまっては今までの事が全て無になってしまいます。
      然るに、法義とは全く別の事柄に就いて宗門の人に誉めてもらったとすれば、素直に喜んでも決して媚びた事にも、法を捨てた事にもならないでしょう。そういう違いがあります。

      >一般に、愚人とは「謗法の人」と訳されるのでしょうけど、対話の中に相手が改心したならば、それはその時点で「聴法の人」なわけで‥ 

      勿論、その通りです。亦、私は法義論争や折伏の初めや途中でも相手を愚人などとは見下しません。私にとってあの御金言は、道理に合わないにも関わらず仏法や正宗、顕正会を謗ってきた人に対して「自らが媚びないように」とする戒めであったり、「気にする必要はない」という励ましであるに過ぎません。

      >愚人の定義を明確にしないと誤解が生まれ易いのかな?って思います。

      愚人の定義は、ご指摘の通り「謗法の人(仏法や、仏弟子を仏弟子であるという事に於いて謗る人)」の事でしょう。改心した人は是に含まれません。

    • 名前:(勝手に)地涌の流類 投稿日:2016/04/10(日) 22:25:51 ID:0cd83d2c1

      >しかし、(勝手に)と添えてはいますが「顕正会代表」と名乗る人間がネットで言論活動しているにも関わらず、クレームなり、何かしらの直接的なコンタクトを取ろうともしない、顕正会の執行部って一体‥。普段何をしてるんでしょうね。

      もうそのHNは使わなくなったからじゃないですかね。いや、そうじゃない。恐らく、私の見立てでは、会員にネットをあまり見ないようにと指導する一方、執行部自体もネットはあまり見ないのではないでしょうか。浅井会長もネットへの関心は薄そうですし(昔の人だからかな)。

      それはそうと、貴殿のご指摘の通り、私の言論活動は会にとって迷惑なものなのかも知れませんね。今後は、ネット活動は控えた方が良いかも知れません。貴殿から見ても、当方の言論は「クレームもの」というように映るのでしょう。

    • 名前:ミミ 投稿日:2016/04/12(火) 20:57:11 ID:810ed73e7

      勝さんへ
      執行部も半ば惰性で、ただ日々与えられたタスクをこなしているだけなのかもしれませんね。
      仰る通り、web担も存在していないでしょうし、ネットで何を書かれようが歯牙にもかけないと言わんばかりの構えですよね。
      あと、
      クレームとは思っていません。
      普通に読者さんだと思ってますよ。
      ネットでの活動を続けるか否かは、己の信念に従えば良いと思います。
      個人的には続けてほしいですね。

    • 名前:(勝手に)地涌の流類 投稿日:2016/04/13(水) 21:06:04 ID:014a4c8b3

      >ネットで何を書かれようが歯牙にもかけないと言わんばかりの構えですよね。

      そんな感じでしょうね。あと、ネットに疎く、その威力がどれくらいあるか過小評価しているんじゃないでしょうかね。だからネットで何を書かれようとあまり気にしないし、ネットで会の正しさを広めようという努力もあまりしていない・・・。

      とはいえ、ミサに行ってしまうミミ殿もお寺から注意されないようですし、宗祖本仏論や大曼荼羅=本尊論を否定する沖浦氏も学会組織から指導されたり除名されたりしないようですから、どこの教団もネットでの信徒の個人的な意見に一々関わらないみたいですね。
      是を各教団本部の寛容や余裕の表れと取るか、怠惰や情報収集能力の低さの表れと取るか、まあ色々と解釈できるでしょうが、どっちの面もあるのではないかと私は思っています。

      >クレームとは思っていません。
      >普通に読者さんだと思ってますよ。

      あ、いやミミ殿がクレームを付けるという意味ではなくて、ミミ殿から見て、顕正会執行部が私にクレームをつけてもおかしくない状態、という意味で書きました。「(私に対して)クレームなり、何かしらの直接的なコンタクトを取ろうともしない、顕正会の執行部って一体」とあったので・・・。

      >個人的には続けてほしいですね。

      どうもありがとう御座います。では、お言葉に甘えて今後ともお付き合い戴ければ・・・。

  5. 名前:ミミ 投稿日:2016/04/14(木) 12:43:06 ID:cedb14418 返信

    勝さん
    随分、コメント欄でのやり取りが長引いてしまいましたね。
    長文にて懇切丁寧なご説明ありがとうございました。
    考えが良くわかりました。納得しました。
    齟齬は須く生じますよね。包括的な性質が強いテキストなのでしょう。
    また、現代と鎌倉時代の往時ではコンテキストも全く異なるので、「愚人」や「恥」についての真意というのも、決して、推測の域を出ることはないのだと思います。プラグマティックに変換して、健全な信行に繋げていくことが肝要ですね。

    • 名前:(勝手に)地涌の流類 投稿日:2016/05/01(日) 19:53:30 ID:53f487f6e

      結構、昔はそこまで悪口ではなかったものが、現代では聞くと「ドキッ」とする言葉になっていたりもしますね。外道、愚者、卑しい者、畜生など。

      外道=単に仏教徒以外(或いは仏教以外の教え)
      愚者=正しい教えを知らないというだけ(馬鹿という意味ではない)
      卑しい者=身分が低いというだけ(品性が下劣という意味ではない)
      畜生=単に動物

      外道って聞くと、現在では最大の罵り言葉に聞こえますが…

    • 名前:ミミ 投稿日:2016/05/05(木) 09:41:13 ID:001c8230a

      勝さん
      上野殿御返事に「劣れるに会うて慈悲あれとなり」という一節があったかと思いますが(間違ってたらすみませんm(__)m)
      以前、住職さんに、「その劣れるとは、人格的に下劣という意味ではなくて、自分よりも年齢が下の者との趣旨だ」と教えてもらったことがあります。
      現代に通釈すると、文全体の意味がガラリと変わることがありますし、まして往時と今では世情が異なりますから、難しい面がありますね。

    • 名前:(勝手に)地涌の流類 投稿日:2016/05/06(金) 19:05:56 ID:00430f040

      そうですね…^^;

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