ブログを書き続けるために必要な2つの心理的要素。

何だかんだで、ブログというものに着手してより早3年が経過しました。

最初にお世話になったFC2の無料サービスを一年利用した後、現在のワードプレスに切り替え2年余。

累計で記事数も400を超えて多少なりとも達成感というものを感じている今日この頃。

勿論、上には上がいるわけで、例えば売れた本の冊数とか、PV数とか、シェア数とか。

あくまで経過に過ぎず、現状に満足することなく引き続き励んでいきたいと思います。

ところで今しがた述べた「上には上がいる」って話なんですが、

今日はそのことをブログの継続に絡めて、個人的な所感を書き出してみたいと思います。

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更新の流れを生み出す源泉

ブログを書くためには、えっとまずネット環境とPCと…

って物理的に不可欠なものじゃなくて、心理的に「これが無ければ書けないよね」というものが2つある、って話。

僕の中では割と確信的な事実なんですが、

それは、「潜在的な激情」と、「根拠のない自信」

これに上記の物理的な2つ条件を加えたものがいわゆる「ブログ執筆の四大エレメント」と呼ばれているものですよ。

いや、勿論ウソですけどね。

では心理的要素の2点について説明していきたいと思います。

潜在的な激情

「潜在」は「顕在」に対応した語句で、自覚できない、あるいは未だ自覚に至らない心的領域の意です。

瞋りとか憎しみとか不満とか、自己認識できる人間の心理領域なんて氷山の一角みたいなもので、

そのほとんどは、潜在的領域に格納されていて、「無意識」が「行動」へと影響を与えています。

例えば免許取り立ての頃なんて、同乗者と会話しながら運転なんて危なっかしくてできないじゃないですか。運転に意識を集中させないと。

ところが運転に慣れてくると、同乗者の話に意識を向けたまま、ほぼ無意識的運転できるようになる。

これが「意識」から「無意識」の領域へと格納されたイメージですね。

で、感情ってのはどんどん無意識の領域に放り込まれて鬱積していくから、いつの間にか自分では認識できない膨大な感情を潜在的に抱えてるということは往々にしてあるわけです。

言論活動に関わらず、例えば分かり易いところで「今日食べたスイーツ」とかブログにアップするのって承認欲求の塊だよね。

承認欲求は不満ですね。

芸能人のステマってわけじゃなしに、一般人がですよ。

承認されたい!って欲求が無ければ、その行為を裏付ける理由がまるで見当たらないじゃないですか。

根拠の無い自信

次に根拠の無い自信が必要だよって話。

この「自信」にまつわる話でまず紹介したいのが、「ダニング・クルーガー効果」というもの。

ダニング・クルーガー効果とは未熟あるいは能力の低い個人が、自らの容姿や発言・行動などを実際よりも高く評価してしまう認知バイアス。自己の「愚かしさ」を認識することのメタ認知(公正かつ冷静な振り返り)ができないことによって生じる(Wikipediaより)

認知バイアスだから、誰でも多かれ少なかれ陥るというものです。

そこで、記事冒頭に述べた「上には上がいる」という話。

引用文に示されているような、「自己の『愚かしさ』を認識するとき」ってどんなケースでしょう。

あらかた、その「上」に打ちのめされた時ですよ。

ネットは大海原です。

自分の発信した意見や主張、その分野について、自分よりもはるかに知識が勝っている人なんてこの世には星の数程いらっしゃるわけです。

これがリアルなら話は別で、勿論デタラメばっか並べ立てる人は最終的に信用を失う羽目になることは自明ですが、

厳密に正しい話をしなくても、「そういうものかぁー」なんて具合に流れていく。

ネットの場合は「記録」に残りますからね。誰でも閲覧可能です。

なので、自分の思ったこと、伝えたいことをネットにいざ上げようという段階に至って、どうしても逡巡してしまう。

こんな生っかじりの知識、詳しい人が読んだらバカだと思われる。

恥ずかしい。

勿論、言い回しを気を付ければカバーできるわけですが、それでも「オマエそれ勘違い」と笑い種にされたら恥ずかしい。

せっかく、誰でも気軽に発信できる便利さが売りであるはずのネットなのに、これでは本末転倒です。

綺麗ごと抜きにして、

「自分の発信する情報はなかなか有用だ」

「自分はあなた方(読者)にとって役立つ情報を発信する能力があるに違いない」

くらいの自意識持ってないと、はっきり言って、わざわざブログなど書こうなんて意欲は芽生えないでしょ。

本当に。

だってね、考えてもみて下さい。

例えば拙サイトでも、中には累計で十数万回、数十万回とか閲覧されてる記事が存在するわけです。

では「その記事の内容通り、数十万人の前でスピーチして下さい」と言われたら、

いやいやいやいや、ちょっと、

トイレ行ってきます、と言って、多分そこら辺に丁度いい穴がないか探しに行くと思う。

それは大げさだけど、さすがにビビりますよね。

でも、本来ならそういうこと。

だから、とっても自信は大事です。

でも「根拠の無い」自信じゃなきゃだめ。ここがポイントです。

自信に根拠があると、他人の意見を聞き入れることができなくなってしまう。と思う。

何しろこっちには「根拠」があるわけですからね。ふふっ、どうだ Ψ(`∀´)Ψ

何を言われても、気にしない、内省しない、改善しない←これじゃダメでしょ。

だから、立派な根拠などというものは特段、持ち合わせていないけど、自信はある。

自分を信じてる、色々受け入れる覚悟とか、可能性とか。

そのくらいがベストなんじゃないかなぁ、と。

専門知識などは追及したらキリがありませんからね。

この記事すら、先程心理がどーとかって話をしましたが、僕、別に心理学の専門家とかではないですからね。

あ、ただ運転を例に上げた話は、昔ちゃんと先生に教わったものですよ。

書きたいことを書く。

根拠が自分を頑なにする。

根拠を捨てれば謙虚になる。

時には恥をかく勇気も大切だ。

簡単にまとめると、プライドとか矜持とか、そういうのを排除した「自信」ってことになりますかね。

重く考えすぎると更新が止まってしまいます。

その意味で、ときにブログは精神の錬成に最適なツールではないかと思ったりもするわけです。

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プラスアルファで必要なもの。「時間」

あとは時間がない。

これは仕方のないことだと思います。

誰だって、ある程度自分で納得の得られるようなクオリティーの記事に仕上げたいはず。

ツイートのようなライトな内容のものは除外して、それなりの随筆なり、濃厚なテーマなら中途半端に書くより、説得力に富んだものを投稿したいじゃないですか。

そのためには、まとまった時間が必要です。

なければ書かない、書けない、というか書く必要もない。

何も義務や強制ではありませんからね。

僕はこの先、時間があまり無くなる予定です。←なんだそれ。

それでも暇を見つけてぼちぼち投稿していくつもりでいますけどね。

更に余談ですが、「とにかくインプットが大事」という意見もちらほら見かけますね。

大事かもしれませんが、インプットの追求し過ぎると、結果的に自信を失うという副作用があることもお忘れなく。

無論、極力「自分の考え」を挟まないならば、得た情報をストレートに、機械的にネットコンテンツへと変換していけば良いわけで、この手法は作業的な色彩が濃いですね。

ただ、言いたいことをぶちまけた方が各段に楽しいですよ。

自分の思考がスッキリまとまって、ある種、ヒーリングです。

もっとも、僕の場合は言いたい放題なので顰蹙を買ってる節がありますけどね。

まとめ。

以上。

最近ブログの更新が捗らないなぁ、と感じていたら、恐らく「潜在的な激情」と「根拠の無い自信」の何れかが不足している状態です。

それでも書き続けたいのであれば、

前者なら、テーマの方向性を変えれば良いですし、

後者なら、リラックスしたり、あるいはネット等の情報を意識的に遠ざけてみるというのも一つの手です。

あとは、バランスが大事かなーと。

今日はそんなところです。

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