「文章」を書いて分かったこと。ブログで気付く自分の心への「無頓着さ」

ブログは、他人に「情報」としての「価値の提供」を可能とする、「身近」で「手軽」であり、且つ「効率的」な媒体。

有用な「発信ツール」です。

しかし、もしあなたがブログを始めるに当り、

「自分の様な人間が、果たして他人の役に立つような有益な情報を発信できるだろうか?」

とか、

「人に深い理解を与えるだけの文章表現力など自分は持ち合わせていない」

などと、ネガティブに思考に囚われるのだとしたら、

僕はそのような必要は「ない」と思っています。

なぜなら、ブログを運営することは、「情報の提供」とは別に、もう一つの側面として、

「文章を書く」

そのこと自体に大きな意義とメリットが存するからです。

文章を書くということは、「心中を一つのテンプレート上に可視化する」ということです。

これは心の中に散在するバラバラな概念を、まとめる「作業」であり、

それをすることよって沢山の「学び」と「気付き」を得ることができるのです。

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【例】棚の整理・整頓

「心の中」を「棚の引出し」に例えてみます。

ちょうど、ごちゃごちゃな状態のタンスの「棚の引出しの整理」をするシーンを思い浮かべてみて下さい。

統一性もなく乱雑にモノが押し込められているカオス状態の「引出し」は、一体どこに何があるのか把握は困難。

まして、過去に何を入れたのかさえ思い出せないという「悲惨な状況」です。

しかも「引出し」はモノがつかえていて少ししか開きません。精々手前のモノを取り出すのがやっとです。

もしも奥の方まで全開に開けることができて、尚且つ綺麗に整頓されていたら、

必要なときに必要なモノの位置を確認でき、

また、必要に応じて取り出し、使用できるわけですから、これがベストの状態です。

では整理しようと思い立ったとしましょう。

ところが勿論、一筋縄ではいきません。

大体、「引出し」は少ししか開かないわけですから、まずは「手前から少しずつ」と出来る範囲が限られたところからスタートです。

また、取り出したモノが本当に「必要」なモノなのか、それともこの際にいっそ「捨てて」しまった方が良いモノなのか、

自分で考えたり、もしわからなかったら家族に聞いてみるなど、よくよく「吟味」をしなければなりません。

手前が片付いてきたならば、ようやく「中」程から「奥」にかけて確認ができる状態となります。

「こんなものが入っていたのか」と、驚くこともあれば、遠い過去に頂いたお土産や、何かの記念品など意外なものが埋もれているかもしれません。

「全てモノを取り出し」、「吟味」し終わったら、カゴやしきりを使って、類似品ごとに分別し、整頓していきます。

隠された意識を自覚・認識する

文章を書いていると、いかに今まで「自分の心」に対して「無頓着」に生きていたか思い知らされます。

「思いや考えを文章に起こす」という、一つの「コンテンツ」を創造する作業は、

先程「棚の引出しの中」に例えた「心の中」を確認するための、大変良い機会となります。

実は、総じて僕たち人間というのは、自分の心の中をあまり把握できていない場合が多いです。

僕が昔お世話になった精神科の先生は、

自分で意識的に行っている物事の範疇、つまり「顕在意識」が働いている時間というのは、普段生活をする中で、「氷山の一角」に過ぎないと教えて下さいました。

「海面の下」に埋もれている部分は、「海面の上」、

つまり「氷山の一角」にまで、意識的に引っ張り上げないことには、埋もれている部分を認識することはできません。

その「引っ張り上げる作業」、を助ける行為というのが、まさに「文章を書く」ことなのです。

自分が「潜在的」な部分でどのような感情を秘めているのか、

これが、文章を書き進めているうちに、だんだんと「顕在意識」として「表面化」されてくるのです。

表面化されてきて初めて、その意識を「認識」することができ、

それが必要か不必要なモノかを「吟味・分析」することができます。

すると、潜在意識の中の「意外なモノ」が自分を苦しめていたのだと気づかされます。

自分で押込めておいたことさえ忘れていた、不必要なものが、「引出しの中」をぎゅうぎゅう詰めにして、スムーズな開閉を妨げていたのだと「知ることができる」のです。

「新品のハサミ」があれば「錆びたハサミ」はもう使わない。

例えば、刃の錆びた「ハサミ」が棚の手前にあり、新品を買いに行くのが面倒なので、仕方なく使っていたとしましょう。

ところが、棚を整理したことによって、奥から「新品のハサミ」が出てきたとしたら、

その時点で再び「刃の錆びたハサミ」を使用する道理はありません。

特に愛着などなければ「こんなものは不燃ごみとして出してしまおう」と考えるだろうし、

同時に、「自分は実は新品の良く切れるハサミを既に持っていたのか。そういえばあの時買ったんだった!」と、忘れていた記憶も呼び覚ましてくれることでしょう。

マインドコントロールの技術とは「記憶」を「上書き」する技術ではありません。

マインドコントロールによって形成された「価値観」というデータは、

実は、新たに「名前を付けて保存」されているだけであり、

古い過去のデータも「脳」というメモリーの奥には「そのままのカタチ」で残されています。

「古い過去のデータ」、または「引出しの奥に押し込められ、忘れていたもの」は本来の「自己価値」です。

それらを引っ張り出し、「現在の意識」と紐づけする方法、

それが「文章を書くこと」です。

それを可能にするのが「ブログ」という「発信ツール」の存在なのです。

【アドラー心理学】「怒り」や「憎しみ」の正体はあなたの「コンプレックス」です。

身も蓋もない言い方かもしれませんが、「怒り」や「憎しみ」の感情を生み出しているその正体は、

あなたの「コンプレックス」です。

アドラー心理学ではこれを厳密に「劣等コンプレックス」と呼びます。

(※この「アドラー心理学」については別途記事を設け、改めてご紹介したいと思います。)

僕は、この本を読んで膝を打つような思いとなりました。

キンドル版もありますので、是非読んでみて下さい。

さあ、ネガティブに思考に囚われる場合ではなく、まずは「行動」し、心の整理・整頓をしましょう。

僕のおすすめするブログサービスについてはこちらの記事を参照にされて下さい。

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